シリーズ-3 地下鉄の工事現場からナウマンゾウの化石を発掘した!

1976年2月末〜 3月はじめの1週間ほどの間にナウマンゾウの化石を発掘した。今から40年以上前のことである。

当時私は、恩師の羽鳥謙三先生の紹介で多摩ニュータウン遺跡調査会で埋蔵文化財の発掘調査を担当していた。都文化課の可児通宏氏からナウマンゾウの化石が発見されたとの連絡を受け、翌日から都交通局・文化課の協力、支援のもとに発掘にかかった。場所は、都営地下鉄10号線(今の新宿線)が建設中で、日本橋浜町の地下である。

発掘の計画と都との交渉は私が、発掘は東京大学の犬塚則久氏と私があたり、当時活動が活発であった野尻湖友の会の東京支部の人たちから全面的な協力を得た。

現場の地下22mの所は、完新世の軟弱な砂層などからなり、1.7気圧に加圧されていた。化石は上部東京層(下末吉期約12〜15万年前)のシルト層から産出した。交通局局長からは地盤沈下の危険性が高いので工事の中止は避けてほしいと要望された。しかし、化石の保存状態が大変よく貴重な研究材料となることが予想されたので、特別な配慮を頂き2日半は手掘りで掘り出した。

当日は化石の産出状況の把握と発掘計画をたてた。工事の再開の要望が強く、私は1人で工事関係者の協力を得て徹夜で掘った。その結果、ナウマンゾウの頭骨、下顎骨、茎状舌骨、脛骨などがさらに見つかり、工事は停止したままで作業を続けた。30人以上の人たちの協力があってよい成果が得られた。また、発掘後は都の文化課の加藤修氏の特別なはからいで化石の研究の場所や費用を計上していただいた。

ナウマンゾウ化石の研究は、犬塚氏はもちろんのこと高橋啓一、沢村寛両氏らを中心に行われた。結果、3頭分の化石が確認され犬塚氏により全身骨格が都の費用で復元された。地下鉄の工事現場で手掘りの発掘ができたことは偶然とはいえ、稀なことであった。

発掘が実現したのは東京都の交通局や文化課の格段の配慮のもと、工事に関係した間組、丸正建設の協力があったからである。また、化石の発掘が実現したのは、私が所属していた多摩ニュータウン遺跡調査会の方たちの協力、そして可児通宏氏らの特別なはからいがあったからである。さらに、加藤修氏ら文化課の特別な配慮で予算の計上ができたからである。当時は、化石の研究費の予算化は難しく、文化財に相当する特別な扱いをして頂いたからである。

東京には当時でも20数か所のナウマンゾウ化石が知られていたが、この発掘は貴重な標本とデータとなった。

追記:当時、このような発掘が実現したのは今は故人となられた羽鳥謙三、井尻正二、大森昌衛の各氏の陰ながらの大きな援助があったからである。

注)文中に登場する人たちの所属・部署は当時のものを記した。

(東京支部・和光高校講師・平岡環境科学研究所大澤進)